平成18年 1月〜12月
      
 
 

この子だれの子(平成18年12月) − 柿の味 人の味 −


 「味は大和の吊るし柿」こんな例え知っとってか?そのままでは食べられん渋柿も皮を剥いて軒先に吊るし、寒天に晒すと何とも言えん甘味に変わるもんや。あんたの家も田舎やさかい吊るし柿の旨味は知っとってやろ、砂糖では付けられへん味やもんなぁ。  ところで人間も目上の人や上司から親しみを込めて引き立ててもらえること、いろんな場面で使うてもらえることが大切や。人の付き合いや仕事の面でも同じことや。自分の気に向かんさかい、しんどいことや辛いことはきらいやと、堪えること辛抱することから逃げとったら一人前にはなれまへんで。よう聴いとくんでっせ。  霜に当たり艱難辛苦に堪えるさかい、だんだんと我と言う皮が剥けて人としての味が練れてくるんやで、ひと口食べて直に吐き出されるようではあかんのや。食べると言うことは口の中でよう味わうて喉を越し、胃から腸へ、やがて肚に落ちるさかい身に付くのや。油断のならん相手や信用でけん者のことを「あいつは食えん奴や」と言うんやで。世間の人々に食べて、味をためしてもらうことが大事なんやで。  縁あって他所さんの大切な息子はん預かったからには、あんたにはどうでも一人前になってもらう責任があるさかいな、辛いと思う日があっても辛抱しなはれや、頑張るんやで、楽しみやなぁ〜  何からでも覚えんならんと思うて身にはけるんだっせ、世話になって来た親や世間様にもご恩返しの出来るような人間になることが、あんた自身にも責任がありまっせ。よろしいか!!  筆者の少年時代、明治の生まれで当時70才代であった老女から、折にふれ聞かせていただいた数多くの話材のひとつだが、その内容と語り口調はいまも鮮明に蘇ってくる。

この子だれの子(平成18年11月) − 心でコミュニケート −


 最近、「人は見た目が9割」という本がベストセラーになっていた。人が会話の際に使っている9割は言語以外であると著者は語る。  私も全くその通りだと思う。同じ内容のことを言っても、人によって伝わり方が違うのは、表情や身ぶり手ぶり、発するエネルギーなどの他にも、相手が嘘を言っているときなどは、なんとなく違和感を感じるものである。これらの感性は言葉以外の何かが伝わるからであろう。  さて、私には現在打ち込んでいる事がある。それはスペシャルオリンピックス(SO)のボランティアである。  SOとは知的発達障害を持つ人たちのためのスポーツプログラムで、ケネディ大統領の妹・シュライバー女史によって約40年前に始められ、現在では140カ国以上の国で行われている。今年11月には熊本で全国大会が行われ、姫路からも代表選手が出場します。 私は主に水泳のボランティア・コーチとして参加しています。25歳まで全くの金づちだった私ですが、この活動がとにかく楽しいのです。なぜ楽しいかを考えてみると、アスリート(SOでは参加している選手たちをそう呼ぶ)たちがどの子もとにかく可愛い。彼らとはピュアなハートでコミュニケーションが出来るのである。アスリートたちの場合、言語によるコミュニケーションが苦手な子が多い。だから、我々は一生懸命言葉掛けをして、アスリートの表情や雰囲気を読み取って感情を理解しようとする。ノンバーバル(非言語)コミュニケーションで心を通わせようと努力するのである。SOのお陰で私は「心で会話する」ということが少し出来るようになってきた気がする。  人にとって、本当に大事なものは目に見えるもの(例えば家や車やお金)ではなく、目に見えないもの(愛情・友情・信頼・絆・勇気など)であると私は思う。だからこそ、偽りのない心でコミュニケートしたい。SOは私が常にピュアな心でコミュニケート出来るように、手助けをしてくれるのである。 -私自身が、悔いのない人生を送るために-

この子だれの子(平成18年10月) − もうお一人 いかが −


 我が家からさほど遠くない処に市立の小学校が開校、息子二人にとっても母校となった。その頃児童数は毎年増加の一途をたどり、1000名を超していたが、現在では300人台に減少した。  隣接する市立幼稚園もこのところ10数名の園児とあって、存続か閉園かと心配されるなど、約30年と言う歳月が地域社会の環境を大きく変えてしまったようである。  町内にはこども会が組織され、年に一度は校区毎に町別対抗の球技大会が行われるが、チームの編制が不可能であり、こどもたちは開会式の行進に参加出場するのみが、我が町の実情である。  学校と言う場で同じクラスの仲間としてのたすけあい、時には学級対抗として負けじ魂をぶつけあい、闘志を燃やすことも必要だ。  さらにグラウンドでは低学年・高学年が入り混じり群れての遊びがこどもたちを育ててくれていることも確かである。  一人ひとり、きめ細かい指導ができる。或はこどもたちとの関わりがより密になる…などと少人数の利点も耳にはするが、それにもおのずと限度が必要と思える。むしろ学校の規模が小さくなりすぎると対抗意識や競い合いに欠けるのも当然であり、全体としての活気やエネルギーの低下さえも招きかねない。  さて、こどもの数が減少したのは我が町内や近所の小学校に限ったことではない。今や国家的問題と言うべきとも思える。  新らしく誕生するいのちよりも亡くなっていくいのちの数が上回って、まさしく人口減少社会に突入しようとしている。  少子化にどう取り組むか、男女の出会いの場を提供、児童手当支給額の引き上げ、幼児保育サービスの充実等々と少子化対策や子育て支援を提唱されているが、先日こども会役員でもある30代の母親に「もう一人どう」?と訊くと「いいえ、もう結構」!!だった。

この子だれの子(平成18年9月) − 子どもの成績とその秘訣 −


 地域のこどもは地域でと、青少年健全育成を旨とする「研修会」が開催されるのも、夏休みが近くなった頃の恒例行事である。  中学校区の各自治会長をはじめ、小中学校の先生、PTA役員の他県や市から委嘱を受けた少年補導委員らに加へ、各町内から選任された育成推進委員と名の付くメンバーなど80余名が参加。  司会者が開会を告げ自己紹介をはじめたが、会場の母親たちは私語に夢中だ。マナーに欠けるこのありさまに情けない思いと腹立ちさえ感じたその時、ヤカマシイ!!後方から男性の声が飛んだ。  先ず最初に主催者を代表しての挨拶となった。  〜小学生か中学生か、或いは高校かの違いはあっても、こどもを思う親の願いは同じかと思われます。そこでこどもの成績が必ず良くなるコツのコツをお伝えしましょう。もちろんこの話し、この私がではなくて教育のプロが確信を持って語っていることなのです。  さて、その秘訣とは・・・「話しをしている相手の顔に焦点を合わせ耳を大きくして心で聴くこと」これだけのことです。  帰ったら早速こどもに言って聞かせよう、と思われる方も多いことでしょうが、ひとつだけ条件が付いております。その条件とはあなた方お母さんが相手の話に耳を傾け、心を落ちつけてまず聞く!!何故ならこども達は親の言うようにするのではなく、親や教師の行動から学ぶと言われているからです。  さて皆さん、こどもに関わる事件、事故の頻発するこの頃、家庭・学校・地域が連携を密に、それぞれがどう関わるかを学びあう良き機会にしたい〜と結んだ。(挨拶の一部省略) 「不審者対応・少年犯罪と地域の役割」と題した地域研修会、私語を制した父親と耳が大きくなった母親たちは、講師の話に頷きながら熱心に聴き入っていた。こどもたち、今後の成績が楽しみだ。

この子だれの子(平成18年8月) − マイブーム −  話し方サロン 河本 栄味子


 私の中で、今ブームになっているのは、ピアノ!  5年ほど前から、子供の頃に少し習ったピアノのレッスンを再開していました。ただ、あまり練習をせず、発表会の前だけ急に練習していた状態でした。  でも、今年になって、なぜか、急にピアノの練習に熱が入ってきました。一度に、右手と左手と足も使うという事は、難しく、練習している時は、ただただ楽譜と鍵盤に集中しています。  今は、以前から弾いてみたいと思っていた「エリーゼのために」を練習中。始めは、もちろん弾けなかったけれど、ともかく1日10分でも弾く。  毎日弾く。という日を重ねていくと、今年の3月では、 「エリーゼのために」を全く弾けなかった私が、8月現在では三分の二は弾けるようになっている。  確実に、3月の私より、今の私の方がピアノにおいては、進歩している。  子供の頃はいっぱいあった。  できなかった事ができるようになる喜び。  例えば、自転車に乗れるようになったとか。  大人になると、そんな喜びは段々なくなっていくけれど、ピアノは私にできなかった事ができるようになる喜びを運んでくれる。だから、こんなにはまっているのかしら?  今は、ピアノがある所に行くと弾きたくてたまらない。  コムサロンで、音楽サロン?を作って、サロン・どっと・コムで、ミニミニコンサートなど開けたらいいなぁと、夢みています。  あなたの「マイブーム」は、何でしょうか?

この子だれの子(平成18年7月) − 七十年前 −  播州弁研究会 井上 四郎


 小学校六年生の教室で「昔の生活」を話す機会があった。今の六年生は知識も豊富、頭が良い、しかし行儀が悪いのと敬語を知らなすぎるのにびっくり。  私が小学校六年、十一歳といえば七十年前である。播州の一番奥のド田舎、服の子と着物の子とは半々、靴は高価で、たいてい下駄か草履が大半であった。クラスの中で貧乏で弁当を持ってこられない子があった、と話すと六年生一同「ウッソー!」「その子は昼はどうしたの…」の質問に「昼になったら運動場の隅のポプラの陰でじっと空腹をガマンしていた、たまに『干し芋』をかじっていたよ。」  夕食のとき母親が「明日このアンパン持って行って先生に分からんように、その子と食べたら…」と、翌日昼休み にポプラの陰へ「半分ずつ食べよう」と手渡した、その時その子は大粒の涙をぼろぼろっとこぼした…。  こんな話しが六年生の心に響いたのか、教室の空気が静寂へと一変した。今や飽食の時代、今の子供たちは毎日がお正月、祭のようなご馳走を食べている、衣・食・住に対しての感謝、感激を味わったことがない。こんな姿がはたして幸せと言えるのだろうか。  数年前、沖縄旅行で最大の激戦地、摩文仁の丘に戦死者の碑が建っている、兵庫県の「のじぎくの塔」に、そのむかし昼の弁当を持って来れなかったクラスメイト。あの彼の名前が刻まれていたのに仰天した。七十年前を想い出し全身が凍てつく思いであった。

この子だれの子(平成18年6月) − 外国人研修生 −  人間塾  塾生 須鎗教有


 3年前ベトナムから某企業の研修生として2人の若者が日本にやってきた。名前はダン・タン・ビン(25)さんとダン・クオック・ファン(19)さん。日本の様々な技術を習得して帰国後はそれを母国に反映させることではあるが、実際には外貨の獲得、つまりお金を稼ぐ為でもある。  1年半程経った頃、長期間家族と離れて暮らす寂しさも手伝ってか、言葉や文化も生活様式が全く異なる日本の生活には限界がきた。そんな時「はりま国際交流の花見会」で姫路城に連れて行った時の彼らの印象が良かったことを思い出し、今度は「お城の掃除」に誘ってみた。  お城の掃除は心のそうじを合言葉に休日の早起きは辛かったろうがそれ以上に雄大な世界文化遺産の姫路城を眺めながら、仕事場以外の人と接して会話する喜びを味わい、一気に水を得た魚のように元気を取り戻してくれた。  以後毎月の「お城の掃除」や「御坊の楽市楽座」以外にも「コミュニティ・ビジネスフェア2005神戸」「愛はりま博」「播州弁研究会」「播磨うまいもん会」などコムサロンの行事スタッフとしての活躍は目覚しく、本年2月に加え5月にも、新聞に掲載された。これほど地域社会に貢献した外国人は少ないだろう。  帰国したら「コムサロン21ベトナム」を創設して、日本語教室を開きボランティア活動をしたいと話してくれた笑顔に、思わず Co gang(がんばれ)と叫んでしまった。  この子だれの子?ほんの一声から「真誠一心」を学び、笑顔で帰国した2人に教わったものは大きい。ベトナムでの再会を楽しみに、彼らに感謝せずにはいられない。

この子だれの子(平成18年5月) − 心について考える −


 去る4月9日、阪神タイガースの金本選手が、904試合連続全イニング出場を達成、大リーグ記録とされる903を超えた。  この快挙の背景には様々な要因があり、各人各様の解釈の仕方がある。ある先輩の言葉だと「力ある人間に、力ある人生が」ということか。私にすれば「心ある人間に、心ある人生が」ということになる。 さて「心」の実態は何なんだろう?私は、「心」を電流や電磁波のような存在ととらえている。TVやラジオ等、ただそれだけではただの箱なのに、電流や電磁波の働きにより初めてその機能を発揮することができる。これは人間の身体と心の関係にも当てはまる。  心理学で、木の根っこを「心の安定」に、幹を「自立心」に、枝を「適応力」に、実を「向上心」に例えることがある。  「実」である成績・肩書き・お金等ばかりを求めて、「根っこ」の自尊心を軽く扱っていると、いつの日か大変な目に遭うことになりかねない。では「心の安定」には何が必要なのか。それは「あなたはとても必要な人である」と掛け値なく、ありのままの自分を受け入れてくれる存在である。  中村天風氏の「人生は心ひとつの置きどころ」の通り、人生はその人のイメージ通りに事が運ぶ。そして、そのイメージの奥底に私利私欲が隠れている人と、謙虚に本道を見すえている人との差は著しい。  世界新記録を称えるセレモニーで、金本選手は何度も何度も「感謝」の言葉を使い、最後に「全身全霊、骨身を削っても努力することを誓います」と締め括った。  久しぶりに「心ある人物」を目の当たりにして、感動するとともに、自分自身を見直すきっかけとなった。

この子だれの子(平成18年4月) − 生きるということ −


 私たちは日ごろ「生きている」ことを至極当然のこととして、それに深い目を向けることを怠りがちである。  しかし、生物はひとりでは生きられない。地球上のありとあらゆる生きものは、他のいろいろな生きているものと一緒に生きて、はじめて生きることができる。  私たちは他の生物がつくったものを食べて、自分の生命を維持している。生きるために重要なことは、何を食べて生きているのか、植物にしろ動物にしろすべて生きていたものである。生物は生命あるものがつくったものを食べてのみ、その生命を維持することができる。ヒトは生きているものの一員として、多くの生きているものを食べて生きている。  石油や砂を食べては生きてゆくことはできない。壮大な宇宙の、この地球上に存在するいのち、一瞬一瞬を支えているのは、まぎれもなく他の「いのち」なのである。  私が、あなたが存在することができるために、いのちが出現して以来、どれだけの生があり、どれだけの死があったのだろう。一切のいのちはわたしにとって無縁のものではない。生まれ替り、出替わりして、連綿として流れてきたいのちの集積が「わたし」であり「あなた」である。 一体、いのちとは何か、この問は宇宙とは何かということでもある。 医学博士 山本利雄著 いのち より抜すい  小学校の給食時間、こどもたちは合掌してみんなで「いただきまーす」と。ところがある保護者からクレームが来たと言う。「こどもたちに宗教的なことを強要しないように」と、そんな親たちへ、あえてこの文章を転載した。

この子だれの子(平成18年3月) − 「共有」いま、むかし −


 あの頃、藁葺きの屋根であった家の間取りは田の字型で、長い電気コードの先端にはそんなに明るくもない裸電球がひとつぶら下っていた。夕食時は居間らしい所から食卓のある場所へと引っ張って来て、家族全員が同じ場所で同じ時を過していた。60余年前、我が子ども時代の家族はこんな姿で時間や空間を共有していた。  戦後の貧しさから一日も早く脱却しようと、みんなが必死で頑張った。やがて高度成長時代となり、単身赴任や遠距離通勤、時間外の残業などによって夕べの食卓から「父親」の姿が消えていった。仕事によっては3Kなどと呼ばれ、その職種には働らき手が居ないとまで言われた時もあった。結婚の条件として「車付き」「ババ抜き」とこんなことばさえ流行ったものだ。「人間誰だって歳をとるのに…」と老人たち。  こうして茶の間から年寄りの姿が見られなくなり、一方では「鍵っ子」と呼ばれる子ども達が増えていった。  最近では塾通いの小学生がめずらしくなくなり、夕べの食卓からこんどは子どもが消えることになった。  ある父親は中学生の息子から「俺の部屋に無断では入るな」!!と罵倒され暴力を受けたと嘆いていたが、父親不在の表れであり、せっかく造った子ども部屋がもたらす悲劇である。  親も子もそれぞれに頑張っていながら、だんらんという場がなくなってホテル家族だの核家族だの、こんなことばが登場する。「たまには家族サービスも」とわざわざ休みを取り、一緒に過ごすために旅行であったり、遊園地であったりだが、そのあとの父親はグッタリだ。  経済的な豊かさや便利さが創り出す共有と、貧しさや不便さから相手を必要不可欠として繋がり合って体験した共有の違いを思わずに居れない。

この子だれの子(平成18年2月) − 至福のひととき −


 年始のあいさつにと本年も娘の家族が揃って訪ねて来た。 “Ake−Ome−”孫の男児二人も明るく元気で、年ごとの成長ぶりに初春のめでたさも重なり嬉しさと有難さの二重奏である。  孫達の予約注文は「おじいちゃんの寿きやきが喰べたい」である。こうなると材料の吟味など当方も気合が入る。ワァ〜寿きやきの匂いや!!そうやこの味や、やっぱ旨いわ!!などと感嘆しきりの姿にこちらも満足だ。「これ!ひょっとしてゴボー」?と肉汁の染みこんだ牛蒡の笹掻きを摘み挙げたのは中3の長兄だ。  オッ!!それを牛蒡だと見破るとは、お主もなかなかやるな。  コラ!!そんなに急いて喰わんでも、肉も野菜もいっぱいあるやんか。ちょっとあんたら、家で何んも喰べさせてない子みたいやんかぁ〜。そうかて旨いんやもん。孫の二人には母親の声も馬耳東風だ。この子らの口ぐせ、あぁ〜腹減った!なんやから。  自室に閉じ篭もってパソコンやビデオ、テレビゲームに時間を費やすようでも心配だが、閉じ篭るにも自室がなく、塾とも全く無縁のようだが、学校のクラブ活動は自ら進んで熱心に取り組んでいるとか。高校でも同じクラブに入部希望だという。  中3、3学期の授業日数は約45日である。高校受験や進路のことなどどうなったのか、この親子の姿からはそれらしい緊迫感も伝わってこないことがむしろ不思議でもある。 「小学生の弟は音楽会で楽器の演奏、兄は生徒会のことや夏には市の総体試合にレギュラーとして出場、二人とも一年一年と学年に応じたように成長してくれてるみたいで、こどもから親の私達が楽しませてもろてますわ」!!と語る父親(娘婿)である。  腹の皮が脹らむと目の皮が弛むとか、我が子の寝顔に満点気分の若夫婦、その親の表情に我々老夫婦も至福のひとときであった。


この子だれの子(平成18年1月) − 秋の初穂料 −


 わが村の神社も歳末恒例の行事として大祓いの神事が勤められる。事前に配布の雛型には「家内安全」が目立つ。中には祈願する者として辰年生れ男、卯年女何才などと記されたものもある。 世話掛によって回収される雛型といっしょに幾計かの米であったり、新米の代りに初穂料と称して応分の金子を供することが、氏子として村としての慣習のようである。 大祓い当日の準備としてそれぞれの役割分担など相談と打ち合わせの席で質問が出た。「初穂料とは何のことですか?」と。誰が応えるか、お互い顔を見合わせていたとき、老人の一人がおもむろに口を開いた。 都会に住んでいる子に「お米どないして穫るんやろ」?と尋ねたらどない答えるやろな〜「そんなん僕ら知らんわ」「お金入れたら自動販売機から出てくるんや」!!「トラクターでやっとるとこテレビで見たことあるわ」とざっとこんなところかいなぁ〜。 初めに因になる種が要る、次にその種を育んでくれる土や水、さらに太陽の熱や光、そして空気など、どれが欠けても収穫はあり得ない。しかもそれらのどれひとつたりとも科学の力で、人間の力で創り出せたものは無い。古来よりすでに備わっていた大自然の恵みやなぁ〜。秋の実りを夢みて丹精して来ても、あと少しのところで台風の被害に遇うて苦労も水の泡になってしもた。 嘆いても悲しんでもどうにもならん、天を仰ぐしかないなぁ〜。今年は豊年万作や、やれ嬉しや有難やと踊り出したい気分になる、その喜びと感動のエネルギーが「秋の祭り」になったんや。おてんとさまのお陰やと、よう聞いたもんや。 感謝の気持ちを表わしたものが「初穂」として神さんにお供せずに居れんかったんやろでー、こんな説明でちょっとは解ったかいな〜、まあこどもに聞かすより大人のおまはんらが思案するテーマやな。ご老人の話しはまさしく神さんの声とも聴けた。


平成17年1月〜12月 この子誰の子

平成16年1月〜12月 この子誰の子

平成15年1月〜12月 この子誰の子
平成14年1月〜12月 この子誰の子
平成13年1月〜12月 この子誰の子
平成12年2月〜12月 この子誰の子
 
 

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