今月のメッセージ

      
 
  この子だれの子(平成15年12月) 「目標と競いあい」

  「ウォー」!!歓声と云うよりはむしろ雄叫びとも感じ取れた。中学校・文化祭・合唱コンクールで、最優秀賞が発表の瞬間である。よくやった、実にみごとであった。 暫くは鳴り止まぬ拍手、それはいま最優秀に選ばれたクラスへの賞賛をはるかに超えていた。  この日へ向けてクラス一丸となり、一所懸命に励んで来たその努力に対し、伴奏者や指揮者としてクラスをまとめてくれた級友に「ありがとう」を込めて。  朝は早く登校して、昼休みのひとときにもと、練習を重ねて頑張ってきた自分自身を讃えてのことでもあろう。  舞台に登場した我が子が、家の中では見せることのない別の姿に、親が送る喜びのエールでもあったか。  体育大会の総合得点では惜しくも引けを取った、その悔しさをバネにこんどこそと文化祭へ執念を燃やし、日ごとにその結束を強めて行く生徒たちの動きに、言い知れぬ教師冥利を味わった担任たちの嬉しさが溢れた拍手と、保護者、教師陣とそれぞれの思いと感情が重なりあって、会場全体が醸し出した万雷の拍手であった。  審査は予想以上に難航、委員の一人であった私は甲乙付け難い中で「裁断」と云う苦渋を体験させてもらった。 コンクールと云う場での競いあい、感動の共有や自己肯定感、或は惜敗の無念さに涙する体験など、クラスの心が寄り集まって「目標」へ向かったこと、文化祭は生徒たちを一段と成長させてくれたことは確かである。


この子だれの子(平成15年11月) 「こども向け妙案は?」


 小売業を営むK氏は体調不良の原因がはっきりしない為、種々と検査の結果、「異常なし」と診断が出た。どうやら精神的な「ストレス」による症状らしいことが判ったのだと言う。まるで諸悪の根源のように云われ、すっかり日常用語となったことばだが、頭部CTやMRIといった精密機器による映像にも写らないストレスの正体とは何か、こんな問いに現代医療はどう答えてくれるのだろう。  男性に留まらず女性も老人たちもと大人社会は云うに及ばず、学業成績や友人関係が主な原因として、思春期のこどもたちまでが日常的にストレスを感じると答えている。本来は安心して寛げる場所であるはずの家庭にまで、暴力や児童虐待と、いまや国民総ストレス社会の所以である。  ストレスの定義はさておき、K氏の語る「精神的抑圧」とでもしておこう。ならばその解消策として大人社会の我々は、どう受け止めいかにふるまっているかを考えると、趣味や宗教の場もあるが、他には盛り場がその代表のようだ。  飲酒・喫煙をはじめパチンコなどギャンブルもいろいろ、さらに風俗関係ともなれば多様極まりないと云えよう。  ところで思春期とも云われる中・高生たちもストレスを感じていると云う。ならば彼等はその解消策として何があるか、飲酒、喫煙、ギャンブル、風俗すべて禁止だ。徘徊するだけでも場所と時間によっては補導の対象ともなる。  青少年たち、こどもたちの為にストレス解消策として大人社会が何を準備できるか、真摯に問い直さねばならない。

 

この子だれの子(平成15年10月) 「受け継ぐバトンは何色」


 騒がしかった蝉の声も止んで、夜には虫の声が時季を告げる。店頭には梨や栗が顔を揃え稲穂もすっかり黄金色だ。地域の中学校からは体育大会の案内状が届いた。 「燃やせ!!秘めたる心の炎 闘魂たぎらせ 真っ向勝負!!」全校生が応募、その中から選ばれた今年の大会スローガンとバトンを握り、競い合う二人のランナーと、ヤンヤの声援を送っている仲間たちの姿が、プログラム表紙のデザインだ。  特にクラス対抗だったり、町内ごとに別れての地区別対抗リレーともなると、本部席テントの来賓たちも思わず声を張り上げるなど、応援にも一段と力が込もるから面白い。  ところで、自分の人生を長距離のマラソンに例えると、目指すゴールとは、何の為に、誰の為に走るのか、或はどこへ行こうとするのかが問われる。他人が決めるものではない、この道と選択し、此処にと決定するのは自分でしかない。  どのコースを選んでもどこまでも平坦な道があろうはずもない。不安や恐怖、挫折感に襲われ、行く手を阻む険わしい崖っ淵や激しい風雪との出遭いも覚悟が要る。  人それぞれに生涯と云う区間距離に長短の違いこそあっても、自分の走ったコースに残された足跡がバトンの色を決めてゆくことになる。では、握りしめ汗に塗れたこのバトンを渡そうとする相手はいったい誰なのか。  次に受け継ぐランナーに、何色のバトンを渡すのか、己れの人生マラソンの評価は、子から孫へと三代を経た頃の者たちが、アンカーとしての順番を受け継ぐことになりそうだ。

 

この子だれの子(平成15年9月) 「親を手玉に」


 知友、Tさん家族の夕食会に厚かましく押し入った。 専門学校に在籍、日頃は下宿ぐらしの息子と高3の弟は進路 のことが話題に、父と母が或いは兄と弟で交わす会話も耳ざ わりが好く、誘いに甘えて同席したが、むしろ遠慮すべきで あったかと思われるほど和気あいあいの場であった。  そんな折、あまりにも突然に「イヤー」!!「ヤダー」!!と こどもの喚高い叫びが部屋中に響いた。さきほどからの耳を 塞ぎたくなるような気分に、あたりの客も何ごとかと視線を 送る。衝立の向うはこども連れの夫婦らしく、叫び続けてい るその子は自分の思いどおりにならぬことを訴えているらし いが、ここは我が家ではない。あたりを憚って母親がその子 を連れ出すか、父親が何らかの動きをするかと見守っていた が、夫婦には何の変化もなく動いたのはTさんだった。  Tさんの苦情を受けてか店の女の子が一応顔を出したが、 まるで人ごとのような親達を見て直ぐに引き返した。 やがて喚き声が消え、その子が衝立の裏から出てきた。胸を 張ってあたりを歩き回る小童は3〜4才であろうか、「俺の勝 ちだ。ヤッタゼ」!!と言わんばかりの表情をしていた。  決っとこの子は喚きちらすことによって親たちと何らかの 取引に成功、つまり自分の思いを押しとおしたようだ。 声の大きい者が勝つ、駄駄をこねると親は負けるものだ、と こんな体験を身に着けるとこの子の先々が恐ろしい。  このことを妻に話すと「そんな時は父親がビシー!!と決めて その子の尻のひとつや二つ叩けばいいのよ・・・」とでも言って くれると思いきや「そんなことでムカついて腹が立つなんて、 おじいさんも若いやんけ」涼しい顔で笑っている。

この子だれの子(平成15年8月) 「自分らしさを創る(その2)」


  B『自分らしさ』を追求する以上、安易に周囲の賞賛 を求めない。専門性・独自性を深めれば深めるほど理 解されることが困難になってくる。その孤独感に耐え ることが成長の鍵である。性急に他人の評価を求める とオリジナリティーが損なわれる。  C何らかの形(読書・議論・さまざまな体験)で他人 の「物の見方・考え方」を入力し、感性を高める。また、 それぞれに対する自分自身の考えを構築する。今まで 当たり前と思っていたことも、突き詰めて考えると偏っ た思いこみにすぎないことに気づくことがある。改め て吟味することが大切。「いざ出力!」の段になって 入力を始めるようでは、時機を失する。  D自分の思いを他人に伝える練習を積む。夫婦でさえ、 親子でさえ、努力なしでは通じ合えない。ましてや生 育歴や文化の違う人との交流には多大な努力が必要で ある。  E「〜しなければならない」の発想から「〜したい」「〜 する方が好い」に転換する。ちょっとした心の置き方 で活き活き度は大きく異なり、疲労感・達成感に大き な差が生まれる。何事も紙一重に始まり、雲泥の差に 終わるものである。  唯一の価値を求めてきた時代から多様な価値を認め合う時代に確実に変化している。「みんな違ってみんな好い」のは確かだが、その根本の義務をしっかり果たし、自己実現を目指して欲しい。

この子だれの子(平成15年7月) 「自分らしさを創る(その1)」


  高度経済成長を経てバブルがはじけるまでは『右肩上がり』が当然の目標であった。そして、いろんな意味の道草はマイナスであり、目に見える物、数字が大きな威力を示した。教育界に置いても同様で、○○大学卒業の肩書きが一つのパスポートと化し、それが就職や結婚に大きな力を発揮した。  しかし、そんなパスポートよりも、『自分らしさ』・自分独自のもの・アイデンティティーを求める10代の青少年たちが増えてきている。数や物だけでは満たされない心の隙間を感じ取る人が増え、また世の中にそのことを表現しやすい空気があふれている。  目に見える物を求めてきた親(大人)が、目に見えない物を追いかける子ども(若者)に、どんな人生を語るのだろうか?発展途上の私は我が子に次のように伝えた。  @「自分らしさ」と「自分勝手」との区別を明確にすること。自分が「自分らしさ」を主張する分だけ相手の「自分らしさ」を認める必要がある。また、他人の値ぶみをしない。自分には理解できないだけで、その人にはその人の好さがあるはず。要は、自分がどんな人物になるのかが重要である。  A自分の足場は自分で固めること。生活面では、自分(の家族)の生活費は自分が働いて手に入れる。精神面においても、誰かに寄りかかるのではなく、自分の責任の元で判断して行動する。ただし、自立を目指すあまり孤立に陥らない。必要な支援を求めることはお互い様であり、正当な手段である。    (つづく)

この子だれの子(平成15年6月) 「3本のカーネーション」


 子どもが学校から帰って来ました。「タダイマァ〜」家には誰も居ませんでした。「おやつは冷蔵庫の中に、晩ごはんのおかずは電子レンジでチンしてね。汚れた着替えは洗濯機に入れといて、お母さんはこれからジャズダンス」待っていたのは、お母さんの代わりにメモでした。  講演会での冒頭、講師がここまで話した時に会場からドッ!!と笑いが起きた。  毎年5月第2日曜日は「母の日」この家のこどもは3本のカーネーションを準備しました。1本は冷蔵庫、1本を電子レンジに、3本目は洗濯機に、そしてそれらに向かって言いました。「お母さんありがとう」と。さきほどにも増して再び大きな笑いが会場を沸かせた。 現代事情を諷刺した4コマ漫画が話しのネタであることは講師の弁で理解できたが、この漫画家の感性や視点のすばらしさこそが笑いを創り出しているようだ。  別の場でこんな話しを聞いたことがあった。小学校で低学年の子が外から帰って来た、母親が見当らないことに気付くと、「お母さんは」?居合わせた祖父に訊いた。母親は外出中で留守だと応えると「なんだ、誰も居ないの、つまんない」と寂しげに呟いたと言う。  この子にとって、お母さんの顔がないことは誰もいないと感じるのだろう。漫画の主人公は年令不詳だが、帰宅した者にはメモ用紙よりもお母さんの笑顔が良い。エッ!!こどもに限らずお父さんにも?アラ!!マア〜

この子だれの子(平成15年5月) 「話しのインプット」


「なあ、人さんの話は聞いた上にも聞いとけよ,繰り返し繰り返し何度も聞いた話はまさかのときに想い出す」。就職して間もない私に、これが父のひとつ話しだった。「聞かなんだことは想い出しようがないぞ、右か左かと判断に迷うような場面でふと浮ぶもんや。その話しは以前にも聞いたことがあるから、もう知っとるわなどと思うなよ、将来決っと役に立つ・・・」。と  こんな話しを何度聞いたことだろう。むしろ聞かされたと言った方が適切かも知れない。  水はすべて井戸から汲んでいたし、かまどを使って薪でめしを炊いていた。電話もテレビもそんなものはどこの家にも無かった時代のことで、むかしむかし・・・  あの頃から略半世紀、家電製品の普及は著しく、自動車や携帯電話も一家に何台もが、ごくあたりまえの時代になった。コンピューターの発達もあらゆる分野で人類に大きく貢献しているが、すばらしい働きをする優秀なコンピューターであっても、膨大な量の情報が入力されているからこそ、必要な情報を検索し引き出せるので、「コンピューター・ソフトなければただの箱」ともなる。 登り坂、下り坂とは聞くが、私は去年まさかと言う坂に遭遇して死線を彷徨った。その時にフト浮かんだのが何十年もの昔に聞いたある人の話しであった。 「将来決っと役に立つ・・・」父によって入力されていた情報が、私の命を蘇生させてくれたと思えてならない。

 

  この子だれの子(平成15年4月) 「24時間・年中無休」


 前日にクラス担任Y先生の母親が亡くなられたこともあって、人の死についてが話材となり、生徒たちにもいろいろと訊ねる形でのスタートとなった。 「どれほどの権力者であっても、名声高き資産家と言えども、心臓が停止してしまってはこの世とはお別れだ。そのいのちを掌る心臓と言う名のポンプは、一日に何回ぐらい作動しているのだろう」?  唐突な質問に隣りどうしで相談しあうなどしていたが「いちまん」!!後ろの方から大きな声が飛んできた。 すると隙さず「10万回」!!まるで反論するかのような答えに、エ〜、キャァーとあちこちから嬌声が上る。 中学2年生が対象の特別授業でのことである。  160名の生徒のうち、1万回ぐらいに3割程度が、10万回に約半数の者が手を上げたのだったが、1分で10分間でと区切って計算してみると自ずから納得の結果となった。つまり10万回ぐらいが正しいのだと。 「君たちがお母さんのお腹の中に、ひとつのいのちとなって宿り、この世に誕生する以前から動き始め、24時間無休で働きどうしの心臓。そのお陰で我々がいまこうして生きているんだナーそしてこれからも・・・」  会場が俄かに静かになったその時、終わりのチャイムが鳴った。生あるものは必ず死す、死亡率こそは100%である。だからこそ精神的にも、社会的にも活きていたい。そんなことこそを伝えたかったのだが・・・。

 

  この子だれの子(平成15年3月) 「2月2日は夫婦の日」


こどもの日、母の日、父の日、敬老の日、いずれも国民の祝日として全国各地でさまざまな祝賀行事が行われている。 2月2日を『夫婦の日』にしよう。お互いに感謝しあう日にしようと、その主旨に賛同して個人や企業の協賛によって、イベントのひとつ”夫婦で祝おう!! 感謝パーティー”も好評を得て今年で5回目となった。  金婚、銀婚の夫婦、結婚2ヶ月目のお熱いカップルなど。今回は2月2日当日に婚姻届を済ませたばかりの夫婦がひと組、会場に集う100組を越す夫婦から万雷の拍手に迎えられ登場したのは、感動的な場面であった。  ・出会いの思い出 ・結ばれた日 ・豊かに育む ・仲むつまじく ・楽あれば苦あり、他料理長の特別創作メニューで乾杯!! 夫婦を題材にした川柳の入選発表や、ウェディングドレスに着替え、すっかり変身した婦人をエスコート、舞台に集合したカップルはむしろ主人達が照れ気味だった。
 ー夫婦川柳入選作品の中からー
    ・ひら仮名で 主人に送る 初メール
    ・子を思う 親の真ごころ いまわかる
    ・えくぼ消え 二重あごでも 笑顔よし
    ・腹も出た 目方も増えた 髪減った
4番目の句などは本人自身のことなのか、或いは相手のことを詠んだのか定かではないが、あまりにも筆者にあてはまるのが憎い。  ともあれ、母子家庭、父子家庭の子供たちが増加傾向の折、夫婦のあいだに「おかげさまで」「ありがとう」など、感謝の篭もったことばや会話を増やしたい。


この子だれの子(平成15年2月) 「損得勘定の背景」


 お屠蘇気分の私に息子が話しかけてきた。「ブッシュにしろ、フセインにしろ、神とか正義とか言いながら、そのくせ地球の環境を守ろうとしない。」 私は嬉しくなって「車から平気でゴミをほかす人がいる。きっとその人は車の大きさの視野しか持ち合わせていないのだ。」息子は聞いている。少し拡げる。  「我が家から100万円が出たとする。それは、市内のAさんのものになった。我が家だけを視野に入れると100万円のマイナスだが、姫路市の範囲で見ると、プラスマイナス0となる。」まだ聞いている。ずにのってさらに拡げる。  「空間的な広さに時間的なことも加えて考えるとさらに複雑になる。次の選挙に勝つことだけを基準に考える人の時間的な視野は3年か5年。その間に答えを出そうとしてしまう。本来、地域や地球の問題は100年ほどの期間でものを考える必要がある。当然その成果を自分の目で確かめることはできず、次の世代にバトンタッチしていく。そういう視点で取り組むべきものである。」  息子は話の後、肯定もせず否定もせず自分の部屋に戻って行った。 ここ数年私が何か話そうとしても息子は聞こうとしなかった。ところが近頃は、自分から話しかけ、私の意見も聞くようになっている。私の説教口調がおさまってきたのか?ありのままの父を受け入れようとの気持ちが芽生えてきたのか?  相撲のぶつかり稽古は、相手をはねのける力が必要である。それは無理として、息子がぶつかってきた時に逃げ出さない親でありたい。


この子だれの子(平成15年1月) 「学校・家庭・地域社会」


 地元中学校の創立20周年記念式典に招かれた。午前中は生徒発表の部として、吹奏楽部による演奏や弁論、各学年を代表しての学級合唱他、学校長のあいさつ以外は開会・閉会とも生徒会が担当、すべて生徒たちが主役で進められた。 午後は式典の部、君が代斉唱、実行委員長式辞や来賓祝辞などのあとは祝賀会へと移り、乾杯となった。 初代学校長をはじめ、地域からは各種団体のメンバーが顔を揃え、おのおのが今日の佳き日を祝う。琴の生演奏と艶やかな着物姿は会場を一段と華やいだ気分にしていた。 既に退職して久しい元学校長たちと同席の現役校長の何人かは、開校当初の想い出や苦労ばなしの聞き役である。 年度初め、生徒から20周年に向けての「テーマ」を募集、実行委員会が中心となり学校・地域・保護者が、それぞれの役割を分担しつつ、目標といつまでにと時間を仕切って結集した姿が今日の日を迎えたと思える。 今後10年毎に周年記念事業が開催されるか否かは定かではないが、ひとつの目標を共有するために、あえて10年と言う節を設定することに意義を感じた。 人を思いやり扶けあう、感動する心など「豊かな人間性」。 自ら学び問題を解決する能力、健康・体力など「生きる力」は学校教育と家庭教育の責任であることは言うまでもないが、地域社会の教育力も大であることを認識したいものだ。



平成14年1月〜12月 この子誰の子
平成13年1月〜12月 この子誰の子
平成12年2月〜12月 この子誰の子
 
 

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